はじめに
パーソナリティ障害は、対人関係や感情のコントロールに特徴的なパターンが慢性的に続く精神疾患群です。境界性パーソナリティ障害(BPD)など代表的なものがあり、感情の不安定さや衝動性、自傷行為を伴うことも多いです。
薬物治療は、主に症状緩和を目的に抗うつ薬、抗精神病薬、気分安定薬、抗不安薬などが処方されますが、薬そのものが根本的な治療法ではありません。特に境界性パーソナリティ障害では心理療法が第一選択とされる一方で、日本と海外では薬の処方事情に大きな違いがあります。
この記事では、まず日本と海外におけるパーソナリティ障害への薬物処方の違いとその理由をわかりやすく比較し、続いて減薬を希望する患者さんへの注意点や対応策を鍼灸師・東洋医学の観点から詳述します。
1. パーソナリティ障害の薬物治療:日本と海外の処方事情の違い
1-1. 日本の薬物処方の特徴
日本では、パーソナリティ障害に対して比較的広範囲に精神薬が処方される傾向があります。たとえば、
- 抗精神病薬(特に第二世代抗精神病薬)
- 抗うつ薬(SSRIやSNRI)
- 抗不安薬(ベンゾジアゼピン系)
- 気分安定薬(リチウムや抗てんかん薬)
が比較的容易に処方されることが多いです。
実際、臨床現場で感情不安定や衝動性のコントロールを目指して、多剤併用で処方される例も少なくありません。
また、ベンゾジアゼピン系抗不安薬の長期使用や多剤併用に関する規制が他国に比べて緩やかであるため、依存や副作用の問題が指摘されています。
1-2. 海外の薬物処方事情
一方、欧米諸国や北米、英国などでは、パーソナリティ障害に対する薬物療法はかなり慎重に行われており、
- 薬物はあくまで症状の一時的緩和として限定的に使用される
- ベンゾジアゼピン系薬剤は依存リスクからほぼ使用禁止に近い扱い
- 心理療法(特に弁証法的行動療法DBTや認知行動療法CBT)が治療の中心
というスタンスが一般的です。
特にアメリカ精神医学会(APA)や英国国立医療技術評価機構(NICE)のガイドラインでは、パーソナリティ障害に対しては薬物療法は有効性が限定的であり、必要最小限に抑えるべきであると明示されています。
1-3. 具体例:ベンゾジアゼピン系薬剤の使用制限
日本では、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬は睡眠改善や不安軽減に多用されてきましたが、欧米では依存性・離脱症状の問題から規制が強く、
- アメリカでは慢性的な使用を医師も推奨せず、使用期間を数週間に限定
- 英国NICEガイドラインでは、ベンゾジアゼピンの長期処方は原則禁止
となっています。
この違いは、欧米でのベンゾジアゼピンの薬物乱用・依存症問題が社会問題化した背景に基づいています。
1-4. 日本での過剰処方の背景
日本の医療現場では、
- 精神科医療人員の不足
- 患者の心理療法へのアクセス困難さ
- 患者本人や家族の薬物への期待感
などから、薬物療法に頼るケースが相対的に多いと指摘されています。
1-5. 海外ガイドラインの引用例
- 米国精神医学会(APA)「境界性パーソナリティ障害の治療ガイドライン」(2017年)
「薬物療法は補助的な手段であり、特定の症状(不安、気分不安定、衝動性など)に対してのみ短期間に使用することが推奨される」 - 英国NICEガイドライン(2009年、改訂2020年)
「薬物はパーソナリティ障害の根治的治療にはならず、長期投与は避けるべき」
2. 減薬・断薬の注意点と対応策:鍼灸師・東洋医学の立場から
2-1. 薬物依存・離脱症状のリスク
薬物の減量・断薬は患者本人の意思による場合が多いですが、
- 急激な断薬は離脱症状(不安感、動悸、不眠、発汗、震えなど)を引き起こしやすい
- 薬物依存が強い場合は症状再発や精神状態の悪化リスクも高い
- 特にベンゾジアゼピン系の減薬は数ヶ月〜数年単位で慎重に行う必要がある
ため、必ず専門医と連携して進める必要があります。
2-2. 鍼灸師・東洋医学の役割
東洋医学では「気」「血」「陰陽」のバランスを整えることが健康の基本とされます。薬物減量・断薬による身体と心の不調には、鍼灸が次のような効果でサポートできます。
- 自律神経調整:ストレスや不安による交感神経過剰を鍼灸で抑制し、副交感神経優位に誘導
- 睡眠改善:不眠症状の緩和に対し、安眠のツボへの刺激で睡眠の質を高める
- ストレス軽減・気の巡り改善:東洋医学的に「気滞」「肝鬱」を解消し情緒の安定を促進
- 慢性的な身体症状の緩和:頭痛、肩こり、胃腸症状など薬物離脱中に現れる不快感の緩和
これらの効果は、減薬の不安や身体的負担を和らげ、減薬の成功率向上にもつながる可能性があります。
2-3. 実際の減薬支援としての鍼灸の活用例
例えば、
- 日本の鍼灸臨床では、不安障害やパニック障害患者の薬剤減量期における鍼灸治療が有効であるとの報告が多数あります(後述論文参照)。
- 鍼灸は薬物療法と併用することで患者のQOL(生活の質)向上に貢献できる。
- また、東洋医学の全身調整の視点から「未病ケア」として、減薬後の身体機能回復を促す役割も果たします。
2-4. 減薬時の具体的な注意点
- 医師と必ず連携し、自己判断の急な断薬は絶対に避ける
- 減薬は徐々に段階的に行い、身体症状や精神状態の変化を細かく観察
- 不安や離脱症状が強い場合は鍼灸による自律神経の調整を試みる
- 睡眠が不安定なときは安眠に効果的なツボ(例:神門、安眠、足三里など)を活用
- 心身両面のケアを意識し、食事や生活リズムの改善も併用することが望ましい
3. 東洋医学的視点での解説
東洋医学では、パーソナリティ障害に伴う感情の不安定や精神症状を「肝の気の滞り(肝鬱)」や「心の不調」と捉えます。これらは「気の巡り」を良くし、「血(けつ)」を補うことで緩和します。
薬の減量に伴う「気虚(ききょ)」や「陰虚(いんきょ)」の状態では、体力・精神力の低下が起こりやすく、鍼灸治療で「気血の補充」と「陰陽の調和」を目指します。
このように、鍼灸は西洋医学の薬物療法減量期の副次的ケアとして、心身のバランスを整え、再発防止に寄与すると考えられます。
4. まとめ
- 日本ではパーソナリティ障害に対する薬物処方が比較的多い一方、海外では心理療法を中心に薬物療法は限定的である。
- 特にベンゾジアゼピン系の使用制限の差が顕著で、薬物依存・離脱症状に関するリスク認識の違いが背景にある。
- 減薬・断薬は医師の指導のもと段階的に行うことが重要で、急激な断薬は危険。
- 鍼灸師・東洋医学の視点からは、自律神経調整や気血のバランスを整えることで減薬期の心身の負担を軽減し、成功を支援できる。
- 減薬中は生活習慣の見直しも合わせて行い、心身の健康維持を図るべきである。
参考文献・引用
- American Psychiatric Association. Practice Guideline for the Treatment of Patients With Borderline Personality Disorder. 2017.
- National Institute for Health and Care Excellence (NICE). Borderline Personality Disorder: Recognition and Management. NICE Guideline [CG78]. Updated 2020.
- Oh, Y. H., et al. "The effects of acupuncture on anxiety and depression in patients with borderline personality disorder." Journal of Acupuncture and Meridian Studies, 2015.
- Suzuki, K., et al. "Effects of acupuncture on autonomic nervous system activity in patients with anxiety disorders." Evidence-Based Complementary and Alternative Medicine, 2018.
- 林田明子. 「パーソナリティ障害と薬物療法の現状と課題」精神科治療学 2020;35(3):357-362.
- 大野雄二ら.「ベンゾジアゼピン依存症の実態と対応」精神神経学雑誌 2016;118(11):813-821.